道路交通法の改正と歴史 その1

道路交通法のはじまり

1918年(大正7年)

日本の道路・交通行政 日本の交通行政で、はじめてモータリゼーションが導入されたのは、1918年(大正7年)のオートバイだと言われています。 

有史以来、道を通るほとんどは人でした。そりゃそうですね、人と動物しかいませんから。 

人、馬、牛、車と言っても大八車(大阪では少し小ぶりなベカ車)がメインでした。 

で、明治になってヨーロッパから文明がもたらされ、いろいろなものが入ってきます。  

まず、ふつうの「馬車」。

 当時は道が舗装されていませんから、雨が降ると馬車が通れない道もたくさんあります。なので、まずレールを敷いて、その上を馬に客車を引かせる「鉄道馬車」。

 馬が蒸気機関に代わると「蒸気鉄道」になります。

 どんどん人の往来も物流も多くなっていきます。

 

1918年(大正7年)の世相を見ますと、 豊田紡織(現:トヨタ紡織)が設立しています。

 当時の日本の基幹産業は養蚕。シルクの輸出がメインです。 

トヨタも源流は絹糸を紡ぐための紡績機械を作っていて、それを応用してエンジンを作り、自動車メーカーになっていきました。

 だんだん電気も普及してきたころです。

 松下幸之助が大阪市に松下電気器具製作所(現:パナソニック)を設立します。

 世界を見ますと、 ヨーロッパでは第一次世界大戦の真最中。同年11月に終戦します。

 この第一次大戦で、世界中に広まったのが、当時スペイン風邪と呼ばれた「インフルエンザ」です。 世界中で5000万~1億人が死亡したと言われています。 

当時の日本の人口は5500万人と現在の半分以下ですが39万人が死亡したと言われます。今なら100万人が死亡するということです。 

いま話題の新型コロナウイルスですが、どうやってもここまで死ぬことは無いでしょう※。

 医学・バイオ技術の進歩がわかります。 

 

日本で手洗い・うがいが定着したのは、このインフルエンザが契機になったと言われています。

 このような世相の中、交通、物流が増えていきました。

 まだまだ少量ですが、外国から自動車、バイクも入ってきます。

 警視庁が交通取り締まり用の自動二輪車を導入します。 車両はアメリカ製の「インディアン1000」。

当時の塗色は赤色で「赤バイ」と呼ばれました。 これが白バイの元祖です。

 次は黒く塗ったハーレー、国産の陸王と続きます。

 今でも東京都中央区京橋にある、「ポリスミュージアム(警察博物館)」に展示してあります。

アメリカ・インディアン製の赤バイ

 

※執筆当時2020年当時の感想です。2023年現在では、世界中のコロナでの死者数は688万人。死者数では10分の1となっています。