秩父へのツーリング
バイクで秩父へ

休日、秩父へツーリングに出かけました。
車でのドライブではなく、今回はバイクでのツーリングです。
関東平野に住んでいるとあまり気にしませんが、日本の国土は75%が山間部。そして67%が森林となっています。
GoogleMapで見ても、日本地図のほとんどは緑色になっています。それだけ平地が少ないということです。
秩父は関東平野に近いのですが山に囲まれ、下りて来るにも寄居から熊谷に出るか、飯能に出る一本道しかありません。
昔から山に囲まれて森林や鉱物資源が豊富だった秩父。大和王朝の力が及ばないころから人が住み、アイヌ語で「冷たい清水」を意味する「ちちぶ」が地名の由来だと言われています。
その後、お雇い外国人のような朝鮮半島から渡ってきた技術を持った人に開拓され、多くの鉱物資源や森林資源などが中央にもたらされました。
資源の多くを平地に下した地となった、「多くの人が集う町」という意味の寄居町。朝鮮語で「大きい集落」という意味の「ハンナラ」が転じての飯能、という地名になりました。今でも埼玉の南西部には、高麗が由来の高麗川や高麗神社などが残っています。
車もトラックも重機も無く、徒歩と人力でどうやってこんな山を切り開いたのだろうと想像を巡らせながら、秩父の山を走りました。
昭和レトロな街並み
秩父のシンボルである、極彩色に彩られた秩父神社。そして秩父神社から延びる商店街は、まさに昭和レトロ。
戦争の空襲被害を免れたのでしょうか、かなりレトロな建物が多く残っていました。




長瀞の岩畳と浦山ダム
観光地としても有名な長瀞の岩畳。海底だった土地が白亜紀にプレートに引き込まれ結晶化。それが隆起してできたのが、長瀞岩畳だと書かれていました。
白亜紀と言えば、恐竜の全盛期。そのころプレートに引き込まれたのなら、見えているのは、その何千何万年の海の堆積物ということです。そしてつい6000年くらい前までは、関東地方も熊谷あたりまで海岸線が来ていました。露出してきたのはそのあたりなのでしょうか?
そしてそこまで海面が高かったということは、どれだけ地球の気温が高かったのでしょうか?
熱いぞ熊谷!は、現在よりも更にずっと暑かったのか?
また、浦山ダムには資料館が設置してあり、いろいろな資料が見られました。

